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金田喜稔(かねだのぶとし)の現在の仕事は?経歴や子供情報も!

2022年W杯アジア2次予選に向けて動き出したサッカー日本代表!

今大注目の若手「久保建英」もメンバーに選ばれて最年少ゴールを期待されています。

今現在、サッカー日本代表での最年少ゴールを記録した『金田喜稔』さんとはどのようなプレーヤーだったのでしょうか?

現在はどこで何をしているのか気になりますね!

そこで今回は『金田喜稔(かねだのぶとし)の現在の仕事は?経歴や子供情報も!』と題して、

サッカー日本代表最年少ゴール記録保持者金田喜稔さんの現在の仕事経歴子供に関する情報をご紹介します。

この記事から得られる情報

  • 金田喜稔さんのプロフィール、経歴
  • 金田喜稔さんの現在の仕事
  • 金田喜稔さんの子供情報

金田喜稔(かねだのぶとし)の経歴は?

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金田喜稔のプロフィール

 

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  • 名前:金田喜稔(かねだのぶとし)
  • 生年月日:1958年2月16日
  • 出身:広島
  • 身長:168cm
  • 体重:62kg
  • ポジション:MF
  • 愛称:キンタ
  • 長所:ドリブルテクニック、スピード
  • 利き足:右

 

金田喜稔の経歴

金田喜稔さんの経歴を調べてみましたが、さすが最年少記録保持者!とても面白いものでした!

サッカー界の異端の天才の経歴を見ていきましょう。

 

1958年に広島に生まれた金田さんは小さい頃からサッカーをしていたのかというと違います!

 

〜中学時代〜

サッカーを始めたのはなんと中学生の頃から!

それまではソフトボールをしていたそうです。中学に入り丸坊主にするのが嫌でサッカー部に入ったそうです。

よくある理由ですね(笑)

昔は今みたいにケータイなどでサッカーの動画を見ることもできない中、テレビで覚えた技やテクニックを次の日の朝にグランドで想像しながらボールを蹴っていたそうです。

金田喜稔さんの中学にはナイター設備があり、近くのプロチームが練習に来てサッカーを教えてもらえるという最高の環境で育ったのが金田さんの急成長に繋がったのだと思います。

 

〜高校時代〜

高校は当時広島で一番強かった県立広島工業に進学し、JFAの専任コーチをも務めたことがある松田輝幸の指導の元、サッカーを学びました。

ドリブルに光るセンスがあった金田喜稔さんは強豪なのに1年生からレギュラーというすごい才能の持ち主。

高校3年時には高校選手権でベスト4に輝き、大会優秀選手に選抜され、日本のユース代表に選ばれました。

 

〜大学時代〜

この頃にはまだJリーグが無かったため、高校卒業してからプロになる選手は少なかったそうです。

大学は小城得達さんが率いる中央大学へ進学し、2年生時には日本のA代表に選出されました

1977年6月15日日韓定期戦で「19歳119日」という若さで日本代表ラストゲームとなった釜本邦茂のアシストで代表初ゴールを決めました!日本の世代交代を象徴するようなゴールでした。

この記録は40年以上経った現在でも塗り替えられておらず、今回の久保建英選手に期待がかかっています。

そこで世界に名を轟かせた金田喜稔さんはブンデスリーガのケルンからオファーの声がかかったそうですが、日本にとどまることを決めたそうです。

 

〜プロ時代〜

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出典 www.mint-mall.net

卒業後は東洋工業のサッカーチームに入る予定だったが単位が足りず、話がなくなったそうです。

その後もたくさんのチームからオファーがあったにも関わらず、当時日本サッカーリーグ (JSL)で低迷していた日産自動車(横浜F・マリノスの母体)に入団したそうです。

 

大学時代の監督からは猛反対されたが「自分のサッカーで日産を日本一のチームにしたい」という強い意志で説得し、入団しました。

次の年には木村和司さんが入団し、日本屈指の才能と技術を持つ2人の影響によって水沼貴史、柱谷幸一、松永成立、長谷川健太、井原正巳ら有力選手が毎年の様に集まり日産黄金時代を作り上げ、宣言通りに日本一に輝きました。

 

〜日本代表時代〜

日本代表最年少ゴール記録を達成してから日本代表に継続的に選出され続けた金田喜稔さんは攻撃の中心選手となりました。

当時ブンデスリーガで優勝候補に名を連ねていたケルンを撃破するなど日本代表で衝撃的なジャイアントキリングを達成しています。その試合後には観客がグランドに雪崩れ込むほど大騒ぎになりました。

日本代表では「個人技で劣る部分を走ることでカバーする」という日本サッカーに新しい風を吹き込んだ選手です。

 

そんなすごい記録や伝説を持つ金田喜稔さんの日本代表の歴史の終わりは突然訪れます。

 

ロス五輪予選で格下と見られていたタイ相手に2-5で惨敗するという事件が起こりました。

原因は監督会場の気温などいろいろ挙げられましたが、金田さんは自分のせいだということを強く思い、26歳という若さで衝撃的な代表引退を表明しました。

当時のファンも金田がいれば。。。という思いが強かったそうです。

 

日本代表を引退しても日産では活躍し、国内タイトル7冠獲得に貢献!

しかし、プロになることは頑なに断り、Jリーグが誕生した後もプロとしての契約はしませんでした。

 

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金田喜稔(かねだのぶとし)の現在の仕事は?

〜サッカー引退後〜

異端の天才と呼ばれた金田喜稔さんはプロになることなくアマチュアとして現役を引退されました。

現役時代は日産自動車の人事部で10年働き、引退後は総務部に2年半勤務しサラリーマン生活を送りました。

 

Jリーグが開幕してからはサッカー関連の仕事が増え、サッカーコメンテイターとして日本初のプロサッカー解説者となりました。

サッカー長寿番組『スーパーサッカー』ではあのビートたけしとも共演し、サッカー関連の仕事の忙しさで日産を退職しました。

1995年まで日本サッカー協会の強化委員会(現・技術委員会)委員に就任しました。

その後もサッカー解説者として活躍し、解説者としての知名度もどんどん上がっていきました。

転載元:名蹴会サッカークリニック 

現在の仕事としては

  • TBSなどのサッカー解説者
  • 日本サッカー名蹴会会長
  • 一般財団法人日本スポーツ振興会 理事
  • いわきFC シニアアドバイザー

そのほかにも子供たちにサッカーを教えたりもしています。

 

金田喜稔(かねだのぶとし)の子供は?

金田喜稔さんの子供に関する情報を調べましたが、子供がいるという情報は出てきませんでした。

それどころか結婚に関する情報も出てきませんでした。

 

酒癖が悪かったり、タバコギャンブルなどサッカー以外ではあまりいい噂が立っていないところを見ると独身の可能性が非常に高いと思われます。

金田喜稔さんのような才能を受け継ぐ子供がいれば、サッカーの天才が生まれていたかもしれないです。

サッカー教室を開いているところをみると、子供にサッカーを教えるのが好きなんですね!

最後に

以上『金田喜稔(かねだのぶとし)の現在の仕事は?経歴や子供情報も!』をご紹介しました。

日本代表最年少ゴール記録を持つ金田喜稔さんの経歴天才と呼ばれるほどすごいものでした!

子供の情報は出てきませんでした。

現在はサッカー解説者として活躍されているので、久保建英選手が記録を塗り替える試合の解説もして欲しいですね!

今後のサッカー日本代表の活躍も楽しみです。

9月10日のミャンマー戦で久保建英選手金田喜稔さんの記録を更新するのかも注目です!

 

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最後までお読みいただきありがとうございました。

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